top of page

                 開かれた書物、堕胎された言語

                   

                                                                             五十嵐 秀彦

問われているメディア

 

俳句とインターネットとの関係。それを考えることは、人とメディアとの関係を考えることでもあるだろう。

 

たとえば文字それ自体もメディアのひとつである。そして文字と、コンピュータを使っての電子テキストとは、実は異なるメディアでありながら人はほとんどシームレスにその変化に順応してきた。さらに今ではインターネットもTVと同様に受け入れられつつある。完全に受身のTVに比べ、ネットは双方向という能動性を持っているが、それも順応の速度を早めこそすれ、けっしてブレーキにはなっていないようだ。

 

自分が関わって何かを動かしているという実感を伴うネットの能動性は、そこに擬似現実世界を作り出す傾向がある。そんなネット・メディアで問題となるのは、書き手の姿が現実とのつながりを持っている場合と、そうではない場合、つまり書き手である自分が消失している匿名の場合だ。匿名者同士が相互に関わりあって動く世界は、どこまで行っても仮想の域を出ない。いかに現実世界めいてはいても、ついにそれは現実とはなれないのだ。このやや極端な事例が、ネットというメディアの根底に常に存在し続けている。

 

今、そうした性質のメディアの中を、電子テキストとしての俳句が拡大しつつある。それが実体の不分明な、アメーバのような存在であることは右に述べたとおりだ。だがしかし、変転するメディアは今始まったことではなかろう。はじめは発声文化というメディアであったものが、文字文化、活字文化と変容し続け、今電子メディアとなりつつあるのにすぎないと考えれば、発声文化以来発展し続けてきた(発展という言葉に抵抗があれば、消滅することなく変容し続けてきた)「うた」が、電子メディアの中で消滅するとは考えられない。変容しつつも「うた」は生き続けると確信する。「うた」の不滅を前提として考えるなら、現状は新しい地平への過渡期であると言ってもいいかもしれない。

 

そう考えた時、インターネットというメディアの意味を検討していたはずが、どうもインターネットに逆に私たちが問われているようにも思えてくるのだ。何を問われているのか。それは、これまで私たちにとって空気のような存在であった既成のメディアの意味や在り方なのである。

 

 

メディアの「権威」と座について

 

既成のメディアとは何か。

それを俳句に限定して考えると、結社誌、出版社による俳句総合誌、協会等団体機関誌、新聞などの活字媒体と、TV、ラジオ等の放送媒体とがある。特に俳人にとって一般的なのは活字媒体だ。結社を名乗るからには必ず結社誌を発刊しているはずである。所属俳人はそこに自作俳句を投稿する。しかし投句した句が無条件に掲載されることは一部の例外を除けば無く、主宰や特定選者による選句を経て句は初めて媒体に載ることになる。俳句総合誌であれ、新聞投句欄であれ、自作を活字化するためには必ずと言っていいほど、ある種のハードルがあるものだ。自由に発表できる媒体というのは、ごく限られた小規模なものを除けば従来はなかったのである。このことが俳人に活字媒体への権威視を植え付けることになった。皮肉な言い方をすれば、俳人は自分たちの自己顕示欲を正当化してくれるメディアとして活字媒体を自分たちに都合のよい「権威」としてきた。

 

またその一方で、従来俳人と俳句とを成立させてきたはずの座のありかたはどうか。連衆の心の交流の場、俳句という言葉の小気味良いキャッチボール、そして一期一会。それが座の基本だろう。しかし、現在の句会や結社が本当に座なのだろうか。明治以降の出版文化発展のめざましさと、高濱虚子が結社組織の中心に結社誌主宰選を据えて以来、俳誌というメディアに活字化されることが多くの俳人の目標と化した。その中で座がどうかすると出版媒体に従属するかのような存在に変わり、それが俳句の近代化、いいかえれば文学化でもあったと言えるのかもしれない。

 

そうした既成メディアと俳人との関係が、インターネットの登場によって変化しようとしている。自由ではあるが核が無く、ときには無秩序になってしまうネット・メディアによって、人とメディアとの関係の意味が問い直されているのである。

 

 

ネット落書論

 

さて、ここまで私は「インターネットの功罪」ということをあえて裏返しに論じてみた。しかし、それはネット無罪論を意味するわけではない。私は自分でメール句会を運営し、自分のホームページで俳句や評論を発表しながらも、同時にネットに対してどこかしら胡散臭いものを感じてもいる。その胡散臭さ、あるいはいかがわしさともいうべきインターネット特有の体臭はどこから発せられているのだろうか。

 

今、私たちの周囲を見わたして気がつくことがある。それは、いつのまにか落書の許されない街ばかりになってしまったということだ。学生運動や労働運動の凋落にあわせるかのように、街から政治的スローガンであれ、卑猥なものであれ、落書そのものが消えていった。いや消されてしまった。

 

平安の時代から、メディアを持たざるものの弱者のメディアとして落書はあった。ときに狂歌で権力者・権威者を批判し笑いものにした民衆の無名の言葉の歴史の中に落書があったはずだ。言論の自由が保証された現代であっても、一般民衆にとってメディアは高嶺の花である。活字媒体や放送媒体で、自分の意見や権力者への批判など勝手に表現することなどできない。それに対して、最も簡便・自由なメディア、それが落書であった。それは都市の雑踏の中の不特定多数の人の目にふれるところ、ビルの壁や公衆便所の壁、ガード下、書けるところならどこでもよかろう。あやしげなビラもまた落書の一種と呼べる。しかし現在、私たちは落書のためのそうしたメディアを奪われてしまった。落書をしたところですぐに消されてしまうに違いない。

 

だが民衆のものであるこの最も古いメディアは、街ではなく、今度はネットというメディアへと移っていったのではないか。ネットという新しいメディアではあるが、そう考えてみたとき、平安朝の都の辻の落首と同じ機能を引き継いでいるように思えてくる。

 

この「ネット落書説」とでも言うべきものを考えるとき、どうしても思い出さずにはいられない文章がある。それは寺山修司が一九六九年に『現代詩手帖』に発表した「詩論まで時速一〇〇キロ」である。その第五章「落書学」は次の文で始められていた。

 

《落書というのは、堕胎された言語ではないだろうか? それは、誰に祝福されることもなく書物世界における「家なき子」として、ときには永遠に「読まれる」ことなしに消失してしまうかもしれない運命を負っているのである。だが、だからこそ「全体のなかに存在する諸関係の総体」(マラルメ)とまったく切り離され、事物を命名もしなければ、事物の呼びかけに答えることもしない――まさに擬似事物として、壁の汚点のようにひっそりと時をかぞえているのである》

 

そうして寺山は約八千字のスペースを使って落書詩論を展開した。それを今、読み返してみると、ネットというメディアの現状ときわめて類似していることに気付かされる。

 

更にすこし長くなるが重要な箇所を引用してみることにしよう。

 

《「禁じられた詩」の書き手と読者との関係をささえているのは、あの「この世で一番狭い部屋」トイレットの空間だけである。少年時代の私は、落書を読むのがたのしみで公衆便所へ通った。それは、長じてから深夜映画館に通う心に似ていた。何か、ことばでは言いつくせないような欠落が自分の中にあり、それを埋めあわせるに足るものをさがして、あてもなくまわって歩いていたのである。ジャン・ジュネは「私の反抗は、信仰への反抗ではなくて、自分の社会的な立場、屈辱的な条件への反抗であった。しかし、私の深い信仰を害うものではなかった」と自ら擁護しているが、便所の落書もまた多くの犯罪と同じように、自らの信仰を害わずに、社会的に解放を求めている立場――つまり、タブーとされていることを書きなぐることによって「話させてくれ、もっと。書かせてくれ、もっと。」と呻吟する自由への無垢な欲望にあふれていたのである。勿論、便所の落書は永遠に「閉じられた書物」としてあるのではなく、はじめから「開かれた書物」として存在しており、ただ詩人だけがその場から消失してしまったのだ、と言ってもよかった》

 

この寺山の言葉を引用する無謀さに私はおびえも感じている。しかし、「この世で一番狭い部屋」トイレットの空間が、今の私たちにとって、この世で一番広い部屋、ネットという空間に置き換えられていること、そして、そこが「開かれた書物」であり、「話させてくれ、もっと。書かせてくれ、もっと。」という欲望にあふれていることに私は気付かざるをえない。ネットというメディアに対して持つ、ある種のいかがわしさの原因がここにあるのではないか。そして便所の落書にも似たいかがわしさの中に、想像力の武器が潜んでいるのかもしれない。それが天使の武器か、悪魔の武器かは、今の私にはわからぬのだが、何か新しい闘いの胎動を感じさえするのである。

 

 

可能性に向かって

 

ネットの現在は学問的メディア論の追いつけぬ速度で疾走している。一瞬たりとも停止することのない流動体である。今、ここで私たちが何を語っても全て後追いとなることだろう。それでも良いのだ。私たちは長い眠りから揺り起こされようとしているのかもしれないのだから。これまでも存在しながら、しかし裏面に隠されていたものが一気に噴出している。その現実に向かって是非を論ずる愚を思い知らされてもいるのだ。

 

俳句におけるネットというメディア、あるいはネット・メディアにおける俳句への評価を問われると、正直何も言えないことに気づく。匿名という闇を背景とした混沌とした「自由」をどうすれば評価できるだろう。しかし、ここにこれまでなかった空間が開けているのは間違いない。既存のメディアは朽ち果てているわけではないが、しかし一抹の閉塞感をぬぐえない現状において、この新しい媒体を性急に評価すべきではなく、将来に向けての可能性としてとらえたい。

 

ここまで述べてきたとおり、私はネット・メディアについて考えるのであれば、並行して既成のメディアのあり方を議論すべきと考える。ネットの未熟を批難する人がいるとすれば、その人に結社や協会組織や、出版界がこれからどう生きてゆくのかを考えてほしい。メディアが目的なのではなく、文学的状況の活性化こそが探し求めるべきものだからだ。新しい才能、新しい思想を、既成のメディアが掘り起こしてゆく作業を今の時代は為しているだろうか。

 

それは今を生きる俳人ひとりひとりが考えねばならない。仲間ボメや、主宰礼讃や、組織防衛的発想に埋もれていては、俳句という文芸も早晩ただの家元制の習い事と変わらぬものとなってしまうに違いない。「インターネットの功罪」という問いの意味をあらためて考えてみるとき、今ほど個々の俳人のあり方が問われている時もないのである。

 

                            (『俳句界』2007年3月号掲載)

bottom of page