【アリバイの無い作品群】
私は今回『花粉航海』を読み解くに当たって『寺山修司俳句全集』(あんず堂)を主な資料として、『花粉航海』の二百三十句を、高校時代のアリバイのある作品群と、句集発行以前に発表された痕跡のない、つまりアリバイのない作品群の二つに分けることにした。前者をA群(高校時代の作品)、後者をB群(アリバイのない句)とする。
句集『花粉航海』は九章二十三節の構成となっている。まず両群の句数を章・節別に整理した。
「草の昼食」「十五歳」 A群:七句 B群:三句
「午後二時の玉突き」 A群:五句 B群:五句
「地上」 A群:七句 B群:三句
「幼年時代」 「暗室の時」 A群:二句 B群:九句
「愚者の船」 A群:〇句 B群:十句
「左手の古典」 「啄木歌集」 A群:八句 B群:二句
「無人飛行機」 A群:四句 B群:六句
「青森駅前抄」 A群:七句 B群:四句
「鬼火の人」 「ひとさし指」 A群:一句 B群:九句
「髪地獄」 A群:〇句 B群:十句
「望郷書店」 「車輪の下」 A群:十句 B群:〇句
「書物の起源」 A群:六句 B群:四句
「中学校漂流」 A群:九句 B群:一句
「だまし絵」 「かもめ」 A群:二句 B群:八句
「出生譚」 A群:五句 B群:五句
「狼少年」 「わが雅歌」 A群:六句 B群:二句
「田舎教師」 A群:七句 B群:三句
「母音譚」 A群:六句 B群:四句
「憑依」 「魔の通過」 A群:二句 B群:八句
「敗北」 A群:四句 B群:六句
「スペインに行きたい」 A群:二句 B群:八句
「少年探偵団」 「蜜」 A群:五句 B群:五句
「花粉日記」 A群:〇句 B群:十句
以上合計すると、全句二百三十句中、A群百五句、B群百二十五句となる。
確かに寺山が言ったように「愚者の船」は全句B群である。だが、ご覧の通り「髪地獄」「花粉日記」のように全てB群の節が他にもある。そしてB群が全体の中で五十四%を占めているのである。つまり半分は高校時代の作品群であり、残りはアリバイのない作品群で構成されている。高校群の句の中に巧みに不明群の句がまぎれこんでいるわけだ。しかし寺山は《「愚者の船」をのぞく》と言っている。そこに読者をミスリードしようとする寺山の意思を感じる。ここに寺山神話セオリーのひとつを見つけることができるのではないか。 寺山の虚構の特徴のひとつに、多少なりとも事実が入っていることはよく知られていることである。一部に事実を含みながら、その事実を誇張することで「寺山修司」という半架空の文学人格が作られる。句集『花粉航海』にもそのセオリーがどうやら当てはまるようだ。
さらによく読むと次の重要な事実が分って来るのだった。
【プロットの罠】
『花粉航海』は寺山いわく、高校時代の俳句作品を深夜叢書社の齋藤愼爾のすすめでまとめたという趣旨の句集であって、全体が九章二十三節で構成され、その全てに小題が付けられている。小題を見ていくと、俳句で綴った寺山修司の少年時代の自伝的句集という体裁であることに気づく。
その小題が読み込まれている句を調べてみよう。
「草の昼食」 「十五歳」
十五歳抱かれて花粉吹き散らす (B)
同 「午後二時の玉突き」
午後二時の玉突き父の悪霊呼び (B)
同 「地上」
朝の麦踏むものすべて地上とし (B)
「幼年時代」 「暗室の時」
暗室より水の音する母の情事 (B)
同 「愚者の船」
大落暉わが愚者の船まなうらに (B)
「左手の古典」 「啄木歌集」
便所より青空見えて啄木忌 (A)
同 「無人飛行機」
テレビに映る無人飛行機父なき冬 (B)
「鬼火の人」 「ひとさし指」
秋風やひとさし指は誰の墓 (B)
同 「髪地獄」
母とわが髪からみあう秋の櫛 (B)
売郷奴いぼとり地獄横抱きに (B)
「望郷書店」 「車輪の下」
車輪の下はすぐに郷里や溝清水 (A)
同 「書物の起源」
書物の起源冬のてのひら閉じひらき(B)
「だまし絵」 「かもめ」
書きとめしわが一瞬を老かもめ (B)
同 「出生譚」
絹糸赤し村の暗部に出生し (B)
「狼少年」 「わが雅歌」
蝶とんで壁の高さとなる雅歌や (B)
同 「田舎教師」
香水のみの自己や田舎の教師妻 (A)
同 「母音譚」
黒穂抜き母音いきづく混血児 (A)
「憑依」 「魔の通過」
汽車が過ぎ秋の魔が過ぐ空家かな (B)
「少年探偵団」 「蜜」
暗き蜜少年は扉の影で待つ (B)
同 「花粉日記」
自らを浄めたる手に花粉の罰 (B)
「左手の古典」の「青森駅前抄」と、「望郷書店」の「中学校漂流」、「憑依」の「敗北」「スペインに行きたい」の、四つの節には表題の言葉を直接詠み込んだ作品は見当たらなかった。
さて、上記を見て明らかなように、節の表題の大半がB群の作品によっているのが分かる。二十三の節のうち句から題が付けられたと思われる節が十九あり、それらの句の中であきらかに高校時代の句と特定できるものは四句しかないのである。
このことから、自伝的句集であり高校時代の作品をまとめたものと言われている同句集が、その編纂時にアリバイの無い句(B群)に重点を置いたプロット作りで成り立っていることが分かる。つまり事実としてのメモリアリズムではなく、後日意図的に創られた架空のメモリアリズムによる「自伝」句集であるのではないか、という仮説が自然と立ち上がってくる。
【季語観の比較】
次にA・B両群を比較して特徴的な季語について挙げる。
○A群になくB群にある季語
秋まつり/蝸牛/花粉/木の葉髪/鶴/春怒濤/蛍/鵙の贄 (複数あるもののみ)
○A群にもあるがB群で特に多い季語
冬(十三句) (A群では三句)
○A群にありB群にない季語
揚羽/蟻/落葉/小鳥/たんぽぽ/チエホフ忌/花/ラグビー/林檎 (複数あるもののみ)
○B群にもあるがA群で特に多い季語
桃(五句) (B群には一句)
ここに読み取れることは、A群の「チエホフ忌」が短歌「チエホフ祭」につながっていると思えること、「冬」という季語の多用に見られるB群俳句の心理的な屈折、「蛍」「花粉」というこの句集を代表する季語がB群のみのものであること、などである。
A群の俳句作品が「チエホフ祭」に繋がっていくことの具体的な証明は二つあとの節【自己模倣の経緯】で詳述する。B群について、単純に季語だけを抽出した議論をしても収穫はあまり多くはないだろうが、それでも右の例からB群が句集『花粉航海』の主たるイメージを作っていることは見当がつく。
単純に歳時記掲載の季語を使ったかどうかを調べることより、私は寺山が季感をどうとらえていたのかに、より興味をひかれる。寺山自身は季語についてどのように考えていたのだろうか。後年、俳誌『蘭』のインタビューで、寺山はこんな発言をしている。
《花鳥風月への関心も、その内実は、婦人靴に対する中年男のフェティシズムと変わることがなくて、そこで詠われる花にしても鳥にしても、それはある意味では剥製とかプラスチックのような人工性をもっている。そして、そのことによって不気味な、ある意味で一つの詩になってくるんじゃないか》(「俳句、その出会いとわかれ」 『蘭』昭和五十四年四月号)
また同インタビューの中でこうも言っている。
《『季語』というのは、見事に呪物です。》(同上)
この発言は、寺山俳句にとってきわめて重要である。それは次節で触れる寺山の「言語感覚」に直結したものであるからだ。
【使用名詞の比較】
寺山修司の俳句も短歌も難解さという点で見た場合、どちらかといえば分かりやすいほどと言ってもいいだろう。前衛的表現が風潮であった時代の中にあり、時代そのものをリードしていたにもかかわらず、寺山俳句は難解性から奇跡的に遠いという印象を私は持っている。たとえば、加藤郁乎の初期の俳句と比較してみれば歴然とするのである。寺山が『戦後詩』で引用した加藤郁乎の句は次の三句だった。 海はなくとも帆は帰る、折りの鏡身のかひやぐら ななかまどの下では一切他律の痔が出る 火山学の白鳳仏に及ぼした春さきを思ふ 寺山は加藤俳句の世界を否定しなかったが、《「大衆」は、はじめから圏外におかれている》(寺山修司『戦後詩』より)と指摘することで、かえって自らが立つ場所を明確にした。寺山俳句の立場とは、叙述の具体性にあると考える。叙述の具体性とは、いいかえれば一句の中の物語性とも言える。ここに寺山の面目が発揮されていることを見逃すわけにはいかない。寺山は、一句の中の詩性を確かにするための言葉を重視していた。そしてそれはあくまでも読者に語りかける言葉でなければならなかった。
その意味で、私は寺山が好んで使用したと思われる「言葉」を、高校時代のアリバイのある句(A群)とない句(B群)の二群で比較してみた。
(A群)愛/逢びき/祈り/オルガン/家系/北の男/教師/綺羅/暗き桶/黒髪/高校生/荒野/五月の鷹/故郷/告白/古書売る/車輪/少女/水兵帽/梳く髪/台詞/卒業歌/ソネット/他郷/旅人/チエホフ忌/地の糧/長子/罪の日/鉄棒/道化/同人誌/友/ノラ/花売車/番人/棺/火を創る/母音/混血児/望郷/頬傷/燃ゆる頬/流灯/レーニン祭 等
(B群)悪夢/悪霊/あやとり/暗部/遺失物/売郷奴/王國/狼少年/蛾/鍵穴/かくれんぼ/花粉/神/髪地獄/癌/眼帯/鏡台/櫛/愚者の船/言魂/荒野/消し人形/戸籍抄本/犀/詩人の死/私生児/死蝶/情事/神学/数理/畳/剃刃/溺死/デスマスク/鉄仮面/伝記/銅版画/独裁/日蝕/敗北/罰/ひとさし指/人妻/文法違反/辺境/法医學/魔/蜜/みなしご/無人飛行機/迷路/目かくし/わが死後 等
A,B群ともにイメージの喚起力の強い言葉が使われている。
こうして比較してみると、A群には明るい言葉(青春的)が比較的多く使用されているのに対し、B群では「悪霊」「暗部」「遺失物」「売郷奴」「地獄」「癌」「愚」「溺死」「魔」などの魂の暗部を指し示す言葉が多くなっている。
これらのドラマの小道具的な言葉への嗜好を感じさせる名詞が、一片の事実を内包した虚構の物語性の中に巧みに配置されている。それは相互に響き合い干渉し合い反発しあって、非連続性・非日常性を作り出しているのである。
ここには句集『花粉航海』発刊の一年前に公開された映画『田園に死す』のイメージのアレゴリーが豊富に含まれていることにも注目すべきである。たとえば、「畳」「かくれんぼ」「子消し人形」「情事」「溺死」「ひとさし指」「人妻」等は、映画の中に頻出するイメージ、或いは印象的に提示されたイメージなのである。
A群とB群の間にはもちろん共通した言語感覚も見られるが、B群の言葉の持つ喚起力はA群のそれより数段優っている。この比較検討は乱暴すぎることは認めるし、一語からではその効果を読むこともできない。言葉は前後のそれとの間に屈折するものだからだ。しかしながら、このような乱暴な方法をもってしても、B群の句の作成時期がA群と同じではないことを十分想像させるものであると考える。
B群の句というものが後年の作品であるという仮説を補強するために、更に私は寺山の短詩(俳句・短歌)の変遷を次のように捉えなおしてみた。
【自己模倣の経緯】
まず第一歌集『空には本』(特に「チエホフ祭」)における高校俳句(『花粉航海』A群)との類似に注目した。
○「チエホフ祭」に見られるA群俳句との類似
桃いれし籠に頬髭おしつけてチエホフの日の電車に揺らる
・チエホフ忌頬髭おしつけ籠桃抱き
チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび
・林檎の木ゆさぶりやまず遭いたきとき
桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想い
・桃うかぶ暗き桶水父は亡し
かわきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む
・黒人悲歌桶にぽつかり籾殻浮き
音立てて墓穴ふかく父の棺下ろさるる時父目覚めずや
・枯野ゆく棺のわれふと目覚めずや
桃太る夜はひそかな小市民の怒りをこめしわが無名の詩
・桃太る夜は怒りを詩にこめて
この家も誰かが道化者ならん高き塀より越えでし揚羽
・この家も誰かが道化揚羽高し
むせぶごとく萌ゆる雑木の林にて友よ多喜二の詩を口ずさめ
・多喜二恋し桶の暗きに梅漬けて
ノラならぬ女工の手にて噛みあいし春の歯車の巨いなる声
・寒雀ノラならぬ母が創りし火
「チエホフ祭」(昭和二十九年十八歳のとき、短歌研究新人賞を受賞し、のち昭和三十三年二十二歳のとき第一歌集『空には本』に収められた)が、高校生時代の寺山俳句(『花粉航海』A群)にイメージの面でも表現そのものでもいちじるしく類似していることが右の引用からはっきりと分かる。そのこと自体今更発見ではない。重要なのは、そのもととなっている俳句が『花粉航海』のB群の中にはほとんど見当たらないということだ。
『空には本』以降、寺山は第二、第三歌集を出してゆく。その第三歌集『田園に死す』(昭和四十年、寺山二十九歳)が寺山文学の核となり、そこから戯曲や映画へと表現の広がりを示していった。そして映画『田園に死す』が昭和四十九年三十八歳の時、公開されたのである。その翌年、句集『花粉航海』が刊行された。
次に、『花粉航海』B群の俳句に見られる第三歌集『田園に死す』との類似について調べた。
○B群俳句に見られる、歌集『田園に死す』との類似
売郷奴いぼとり地獄横抱きに
・売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
眼帯に死蝶かくして山河越ゆ
・夏蝶の屍ひそかにかくし来し本屋地獄の中の一冊
法医學・櫻・暗黒・父・自涜
・中古の斧買ひにゆく母のため長子は学びをり法医学
夕焼に畳飛びゆくわが離郷
・畳屋に剥ぎ捨てられし家霊らのあしあとかへりくる十二月
母とわが髪からみあう秋の櫛
・売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を
母の蛍捨てにゆく顔照らされて
・トラホーム洗ひし水を捨てにゆく真赤な椿咲くところまで
かくれんぼ三つかぞえて冬となる
・かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
B群の句に第三歌集及び映画『田園に死す』のイメージが隠れていることが上記引用から見て取れる。A群の句と「チエホフ祭」短歌作品の類似は直接的であったが、『田園に死す』とB群の類似はより屈折し、イメージの断片によってつながっている。しかしそこに通底するものを見つけることはけっして難しくはない。
このことからもB群の俳句が三十代後半の寺山俳句であることが明瞭になってくる。つまりA群の高校時代の俳句作品があり、次に短歌集「チエホフ祭」があり、第二歌集『血と麦』第三歌集『田園に死す』へと繋がり、その文学世界を基盤として演劇・映像等の世界へ展開し、映画『田園に死す』となり、それがB群の俳句作品を生み出し、AB両群を寺山独特の過去のかきかえ作業をもってして句集『花粉航海』に結実させたのである。
高校生俳人、寺山文学の前史としての俳句―青春俳句。これらのとらえかたが、寺山自身の思惑通りではありながら、片手落ちな評価であるとも言える。私は、このB群の俳句の中に、俳句との暗闘とも言うべき寺山の孤独な闘いを見る。
寺山の俳句との別れについては、深谷雄大が、《彼は、困難な形式の最も困難なところを追究しないまま、発表の舞台を短歌に移してゆく》(「寺山修司の原点」『現代詩手帖』平成四年五月号)と表現した。寺山自身にもそのような自覚があったのではないか。彼にとって未完の詩型となった俳句への、身を焦がすような思いがこの句集には溢れている。自らの神話の中で俳句を過去形として語りながら、なにゆえ晩年あれほどまでに俳句に戻りたがっていたのかの解がここに隠されていると考える。
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